新元号「令和」
がいな祭り
米子がいな祭り
米子がいな祭りとは
がいなとは、この地域では「大きい」を意味する方言。
つまり“大きい祭り”
県道28号米子停車場線をメインストリートとし、米子駅前だんだん広場には、“がいなステージ”と呼ばれるステージが設置されます。この2日間で、がいな万灯、よさこい踊り、各年のイベント、そして2日目の夜には盛大な花火大会など、楽しいイベントがいろいろ繰り広げられます。
  
がいな花火
米子がいな祭り
第一回の花火大会から祭のメインとして位置づけられて来た大花火大会。最初は2,3万人の人出が年を追う事に増え、10万人規模にまでふくれあがってきました。特に第10回では西日本初の3尺玉を打上げ、会場周辺からは、どよめきと嵐の様な拍手が沸き上がり、観客の中からは「アンコール」の声があがったほどでした。 第11回からナイアガラの仕掛け花火(通称ガイナガラ)を実施しました。第13回ではその仕掛け花火でギネスに挑戦し、大山と同じ1711メートルの花火を仕掛け、見事世界一の仕掛け花火としてギネスブックに認定されました。 第21回からは台船を中海の海上に設置し、それまで不可能だった水中花火を漁協の協力のもと実施。演出に大きな効果をもたらしました。さらに第34回からは米子港を開放した観覧席の設置など常に新しい試みを行っています。 がいな祭のフィナーレを飾る大花火大会。
  
がいな万灯
米子がいな万灯は、米子がいな祭を活性化する目的とともに米子の郷土芸能とし継承していきたいとの思いで、1986年3月に陸上自衛隊秋田駐屯地において、代表者数名で「秋田竿燈」を習得にいきました。 2015年には30年を迎え、がいな祭において万灯の親である秋田市竿燈会を招致し祭を多いに盛り上げました。また、各種イベントやセレモニー等にも数多く出演し、今や米子市を代表する郷土芸能のひとつとなっています。
米子がいな祭り
  
がいな太鼓
米子がいな祭り
昭和49年に新しい形の祭として米子がいな祭が誕生し、その中のイベントの一つであった「全国有名太鼓共演」の和太鼓の素晴しさに魅せられた若者が中心となり、米子にも郷土芸能と呼ばれる素晴しい太鼓を創ろうという気運が高まりました。
そこで出演者であった山梨県甲府市の天野宣氏に作曲、指導をしてもらい、第二回米子がいな祭の前夜祭でデビューを果たしたのが「米子がいな太鼓」でした。それ以来、祭には欠かす事の出来ない存在となり、数々の企画に携わってきました。
  
パレード&駅前イベント
米子がいな祭は記念すべき第一回においてパレード方式を採用したことから、長年にわたってこのスタイルが中心となってきました。その中でがいな太鼓の先陣をきる「よっちゃばれ」という非常にノリのいいおはやしが昭和60年の大パレードでとりあげられたのが好評をはくし、平成元年の第16回がいな祭ではこの「よっちゃばれ」が300人の規模でパレードの最後尾を飾ったと言われています。
そして「よっちゃばれ」を「やんちゃばやし」と名を変え従来の大パレードから独立した事により、現在のスタイルとなりました。更に平成8年、「高知よさこい祭」のよさこい隊が、がいな祭に参加し、「よさこい鳴子おどり」の勇壮な踊りに観客は度肝を抜かれ盛況を極めました。これに感化され、「鳥取県よさこい踊り子隊」が結成され、翌年のがいな祭で踊りを披露したところ、観客から絶賛されたのです。「やんちゃばやし」はその後「やんちゃパレード」となり「よさこい」のスタイルが一種定番のようになりましたが、そもそもは誰でもが参加して楽しもうという歴史があります。スタイルは気にせず、様々な踊りで祭に参加し盛り上がってください。
米子がいな祭り
米子がいな祭り
  
米子がいな祭では、今年も米子駅前をメインストリートして、数々のイベントを実施します。タレントステージや、イベント広場など例年のものに加え、本年度ならではの趣向をこらした催し物も企画中です。
  
ガイナーレ鳥取
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